
文盲画家
「不法投棄は犯罪です」の文字、帰宅して写真を見直すまで気が付かなかった。いったい何を見て歩いていたのか。カメラをぶら下げて「絵」を探していた画家と言えば、おおよそ見当は付く。矩形を形作る水平線・垂直線、文字は見えても言葉は消える。たぶん、不法投棄を謀れば確実に見えるのだろう。 一方、心も手ぶらに光景を眺めて...
ブログ
「不法投棄は犯罪です」の文字、帰宅して写真を見直すまで気が付かなかった。いったい何を見て歩いていたのか。カメラをぶら下げて「絵」を探していた画家と言えば、おおよそ見当は付く。矩形を形作る水平線・垂直線、文字は見えても言葉は消える。たぶん、不法投棄を謀れば確実に見えるのだろう。 一方、心も手ぶらに光景を眺めて...
朝、脇目も振らず急ぐ人の群れ、流れをかわし、朝日の投げる影を追う。
作品はあるべき姿で生まれ出て来るだけだから、芸術において「表現の自由」を語ることは無意味である。作家の恣意性を超えないような作品は価値がないし、かえってそれは作品の独創性を阻害する。すなわち芸術表現と自由は無関係なのだ。そして、政治的主張の自由は別問題であり、芸術家が関わるべきものではない。
延々と同じ形の文様を描き続ける時、その単調な反復作業には気を紛らわすBGMが必要と思っていた。それが何故か、かえって邪魔になる。そのようなものはあって欲しくないと感じる。目の前の苦しさから逃げたくない。 音楽の流れ乗らず自分の時間を支配したい。この傾向は制作から生活の場にも影響を及ぼす。主体的な活動なしに、...
「ある天文学者の恋文(correspondence)」と言う映画がある。けっして成功した作とは思えないが、芸術が故人との対話であることを教えてくれる。 今は亡き恋人へビデオメッセージを録画するヒロイン、無為にも見える私的な営みが、芸術の存在理由をも示している。 芸術作品は過去からの問いへの回答であり、未来に...
珈琲豆を買いに行く、車を止めて撮影をする。場所はあまり吟味しない。良い風景を探すのは不器用な人にとって危険運転になる。 このカメラは時々写らないことがある。この日も一枚真っ黒、何度修理に出しても直らない。中古で買った疵も目立つポンコツである。(とは言っても廉価ではない。)しかし、階調と空間が画家を虜にしてい...
ここ二ヶ月あまり雑事が重なり生活のリズムを崩していた。散歩をする時間はどこにも見つからなかったから、写真撮影などは、先月の初め上京したおりに愛用カメラを携えて行って以来となる。 草むらが近いとすぐに蚊が寄ってくる。最近では防虫対策も面倒くさくなり、喰われてからかゆみ止めでも塗っとけば良いなどと考えるようにな...
背筋を伸ばして真っ直ぐな視線でものを見る。それも良い。だが、時には俯いたり見上げたり、忙しい通勤時に迷惑を掛けながらも、地を撮り、空を観る。 写真にしろ文章にしろ人様の目に触れるものならば、何とかできる範囲で真っ当なものにしたい。人間の表現行為に対する敬意を失いたくない。写真は何十枚と撮った中から選び、少し...
8月の初旬、古い画家友達の個展を観るため、久しぶりに横浜まで遠出をした。ほんの1時間程度の滞在だが、そのことだけで充分満足できる展覧会だった。SNSには積極的になれないが、その個展のSNS画像のあちこちに散見された作品が私を遠く横浜まで引っ張って行ったのだ。 写真は、会場へアクセスする最寄り駅で見かけた不思...