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青色本の抜き書きを読んでいて雷に打たれたような気持ちになった。既に二度は目を通していたはずだが、見過ごしていたと言うより何も理解していなかったのだろう。

しかし、やっと三度目で本当に理解したのかと言えば、たぶんそれも怪しい。心理的衝撃は覚えていても、何が分かったのか思い出せなかった。もう一度読み直して見よう。

「私が見るものだけが本当に見られるものである」、・・・「{私}という語でL・ヴィトゲンシュタインを意味してはいない。しかし、たまたまこの私が事実としてL・ヴィトゲンシュタインである場合には、他人がこの{私}をL・ヴィトゲンシュタインの意味にとってくれて結構だ」、・・・つまり肝心なのは、私の言うことを聞く人がそれを理解できてはならないことなのである。他人には「私が本当に意味すること」がわかってはならぬことが肝心なのだ。

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