あなたの心に静かな余白をもたらすなら。

If I can stop one heart from breaking,
I shall not live in vain;

If I can ease one life the aching,
Or cool one pain,

Or help one fainting robin
Unto his nest again,
I shall not live in vain.

もし私が ひとつの心を
砕けぬよう支えられるなら、

私の生は 無駄ではない。
もし私が ひとつの痛みに寄り添い、
ひとつの嘆きを冷ましてあげられるなら、


あるいは 力尽きた小さなロビンを
もう一度 巣へと帰す手助けができるなら──

そのとき私は、
生きたかいがあったと言えるだろう。
(詩:エミリー・ディキンスン)

エミリー・ディキンスンの詩にあるように、
「たったひとつの痛みを和らげられたなら、私の生は無駄ではない」という思いは、
私が絵画工房を続けている理由とどこか重なります。
ここで扱う作品は、名だたる巨匠の絵のような圧倒的な価値を持つものでも、
高額な美術品が与える大きな満足を約束するものでもありません。
けれど、忙しさや不安がふと静まる片隅に、
柔らかな色や静かな気配をそっと置くことはできるかもしれない。
そんな小さな願いを胸に、日々制作と販売を続けています。
芸術を愛しながら、いつも余裕があるとは限らない──
そんな方々にも気軽に手に取っていただけるよう、価格や制作にも工夫を重ねています。
一枚の絵が、あなたの暮らしにほんの少しでも寄り添い、
心を整える“小さな静けさ”となることを願っています。

名ではなく、

作品そのものが語る場所でありたくて。

I'm Nobody! Who are you?
Are you — Nobody — Too?
Then there's a pair of us?

Don't tell! they'd advertise — you know!
How dreary — to be — Somebody!

How public — like a Frog —
To tell one's name — the livelong June —
To an admiring Bog!

わたしは「無名の誰か」。

あなたも──そうですか?

それなら、わたしたちは二人組。
どうか黙っていてください。

知られれば、すぐに宣伝されてしまうから。
なんと退屈なことでしょう、「誰か」として

世間にさらされて生きるのは。

名を呼ばれつづけるカエルのように、

六月じゅう、賞賛の沼に鳴き続けるなんて。
(詩:エミリー・ディキンスン)

ディキンスンの詩にあるように、
私は “誰か” として名を広めることには、ほとんど興味がありません。
作品よりも制作者が前面に立ち、
自分自身を売ることが求められる時代にあっても、
私はむしろ、その逆を選びたいと思いました。
静かに手を動かし、
作品そのものがそっと人の心に届くこと。
作者の存在は、背景にひっそりと溶け込んでいてよい。
そんな考えから、自分の名前よりも
「工房」を前に出して活動しています。
有名になることを目的としない創り手から、
同じように、静かな生活を愛する方々へ。
華やかさではなく、日々の呼吸に寄り添う一枚を。
あなたの暮らしの片隅に置かれる小さな安らぎへと
作品がそっと育っていけば、それで十分だと感じています。