「失われた時を求めて」最終章「見出された時」の第一巻を読み終わりました。ここの最後80ページほどがこの大長編小説の核心部分なのでしょう。小説の主人公が語っていると言うより、隠れていた作者プルースト自身が芸術観を述べているような気がします。
ついに主人公の「私」は芸術に対する失望を越えて、その価値を見出します。「芸術によってのみ、私たちは自分自身から抜け出して、ひとりの他人がこの宇宙をどんなふうに見ているかを知ることができる。」
ただ、人生における悲しみや不幸が芸術創作においては有益な役割を果たすこともあると言っている箇所を読んでいると、ついついイーユン・リーの文学を思い出し複雑な気持ちになります。
プルーストが芸術に信頼を寄せてから100年、そして今、はたして芸術はそんなに堅固なものなのかどうか。過剰な期待を撥ね付けるイーユン・リーの方が少しばかり私たちに近いのかも知れません。
でも、好きなプルーストの言葉をひとつ見つけました。
「実を言えば、一人ひとりの読者は本を読んでいるときに、自分自身の読者なのだ。作品は、それがなければ見えなかった読者自身の内部のものをはっきりと識別させるために、作者が読者に提供する一種の光学器械にすぎない。」

