プルーストの失われた時を求めて最終章「見出された時」を読み始めました。他に読みたい本が幾つかあって再読を決めてからけっこう時間が経ってしまった。
いよいよ看過できないテーマ、芸術には人生を賭ける価値があるのか、そして、在ったとして自分にその資格があるのかについて向き合っていくことになります。
出だしにあるプルーストによるゴンクールの日記の模作からはまだハッキリとした答えを見ることができません。一方、ここで一番気に掛かったのは、才気や学殖のあるディレッタントと創作者の違いです。
洗練された芸術趣味を持っていたからと言って優れた創作者になれる分けではない。芸術に興味を示さない人々との距離を感じることは多いが、自分では何も生み出さない大向こうの通人や批評家になりたいとは思わない。スワンやシャルリュスではなく「私」でありたいのです。
しかし同時に今思っているのは、現代の創作者にはもう芸術を信じない人々がいて、プルーストの結論がどうであれ、芸術に疑問があったとしても、自分に資格がなかったとしても、それでもなお描き続ける結論が待っているのではないかと言うことです。
(画像は近作エスキース)

