先月、アマゾンプライムビデオで、そろそろ有料視聴になる映画のリストに「サラの鍵」がありました。以前見たもので何かしら良い記憶があり、もう一度見てみることにしました。
第二次世界大戦でのナチスドイツのユダヤ人政策に対する、占領下フランスの加担を扱った映画です。冒頭の自転車競技場への強制収容を見ただけで、とても娯楽気分では鑑賞できないものと思い、一旦見るのを留め原作となった本を図書館から借りました。
原作小説も映画も、文学作品や映像作品として最高のものではないでしょうが、そのバックボーンとなった事実の存在感には圧倒されるのです。
主人公の女性ジャーナリストは、フランス人と結婚したアメリカ人です。しかし、彼女は、このようなことが自分が住むパリで行われていたことを知らなかったことに対して罪を感じ謝りたいと言います。
この「サラの鍵」を小説と映画で平行して読み鑑賞しました。それと同時のもう一つの映画が気になり見直しました。それは昔購入しておいた「ハンナ・アーレント」です。映画の最後、アイヒマンの裁判について書いたハンナは言います。
”思考の風”がもたらすのは、知識ではなく、善悪を区別する能力であり、、私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで、破滅に至らぬよう。
知らないこと、知ろうとしないこと、考えないこと、自分自身との静かな対話をしないことは、恥や愚かさでは済まない悪であり罪でもあるのだと思い知らされました。


