「見出された時」を見出したい

橋

油彩をベースにしたデジタルプリント作品がなかなか軌道に乗らず、やっと上昇方向へ向かったと思えば見事に墜落。そんな精神的にどん底の時は何事も決めることなく全てを保留にしておくのが無難。仕事は止めて気晴らしに公園へ出た。

その際、気が向いたら写真を撮っても良いかと、カメラの望遠ズームを広角ズームに付け替え、車に放り込んだのだけれども、いざ公園でファインダーを覗いたら画角が妙に狭い。

カメラに付いているレンズを見てみると望遠ズームだ。なんと付け替えたつもりが外した望遠ズームをまた装着していた。やはり精神状態がまともじゃない。

しかし、自分の絵のことを別にすればいたって平穏、老い先短い身、人生の楽しみを味わい尽くそうと、あれが先かこれにしようかとノー天気な毎日を続けている。

そう言えば、先日見た古いトレンディドラマの若い女性ふたりの会話で、ひとりが人生でどれだけ素敵な恋人と出会えるか、できるだけ多くの男性と付き合いたいと言い、もうひとりは、どれだけ美味しいものが食べられるかの方が大切と言っていた。

この点、歳を取ると変わるのか、若い頃ならなるほど確かにと思うところだが、今は、かつては力足らずで味わえなかった、楽しみ方を知らなかったことを経験しておきたいと思うのだ。

そう言うものが無数にあるわけだが、今の第一候補は、プルースト・失われた時を求めて、最終章「見出された時」の再読です。