
先日、見逃していた古い日本映画をアマプラで見ました。豪華俳優陣で評判もそれなりに良く、そのアイデアは後にハリウッド映画に取り入れられたものだそうです。
しかし、私にとっては漠然とした物足りなさを感じました。そして同じ日に、これも昔のものですが、日本のあるポップミュージックを聴いていたら、その映画よりずっと心を動かされました。二時間の映画より三分の曲がです。
元々私は物語好きで、映画やテレビドラマを数多く見て来ました。ところが、これらに好感を持っているにもかかわらず、文学や音楽、美術等、たったひとりの人間が作ったの創作物の方が、一定レベルの才能を持ったプロ集団が物量をかけて作る映画やテレビドラマより深い感動を得ることがけっこうあるのです。
なので、先日の経験はよくあることのひとつだったわけです。唐突ですが話は変わります。ミツバチは正確な六角形の連続で巣を作ります。その技術は後天的な学習によるものでなく、更に遺伝情報にあるのでもないそうです。それらを越えたもっと大きな力が働いているようです。
人間の創作にも、ミツバチとは違っても、個人の訓練や才能を超えた力の作用があるのではないでしょうか。ミツバチの巣は物理的な法則に導かれていると聞きました。そのようなものも人間の芸術表現に関係しているかも知れませんが、それよりある種の伝統、人類が培い積み重ねて来た潜在的なもの、個人の意識を超えたものがある気がします。
映画もテレビも基本的には写真の発展形、枝分かれしたものです。その写真でも絵画や音楽等古くからあるものと比べれば、まだまだ生まれたばかりの表現です。人類の心の奥に記憶として堆積している量は僅かです。それ故、写真や映画はそれ一作の力だけに頼るところが大きいように思われます。(写真と絵画は類似性もあるでしょうが、断絶も強く感じます。)
人が音楽や小説を書いたり、絵画を描く時、それを支える無意識の大きなバックボーンある気がします。それが新しい創作分野では相対的に弱いのではないでしょうか。
最近、絵を描いていて、自分というものの占める領域はけっこう狭いものだと感じています。