
先日、ジョイスの「ユリシーズ」を読み終えました。実はその前、昨年夏に出た同じジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」を散々悩んで年末に買ったのです。それで、2008年から積ん読になっていた「ユリシーズ」の新版の方を先にやっつけようと思った分けです。
ずいぶん昔、「ユリシーズ」の旧版をわけも分からずに無理やり読み飛ばしました。その後で、同じ翻訳者による新版が出ていることを知り、新版で再チャレンジと買っておいたものです。それが先延ばしになっていたのです。
翻訳が新しくなったとは言え、最初の部分以外ほとんど記憶に残っておらず、初めて味わう不思議な読書経験で、それは新鮮でした。旧版を読んだ前回と比べて、無理もあまり感ぜず、何より読んでいて楽しいし、けっこう笑えたのです。
でも、一番強く感じたのは、あまりにも使い古された言葉ですが、表現の自由、何をやったっていいんだと言うことです。知らず知らずの内に自分の表現を枠にはめていた。限界線を引いていたと思います。特に陳腐な真面目さに囚われていた気がします。
ところで、ジョイスの「ユリシーズ」は百年前の小説です。近代、モダンの芸術で、美術で言えばピカソと重なります。もう、前衛でも現代でもありません。時代遅れで乗り越えられた芸術かもしれません。(全くそう思いませんが。)
ですから、ピカソやデュシャン、ポロックを分からないと言う人の気持ちが理解できない時は、「ユリシーズ」を思い出してみましょう。敬遠せずに。さて次は、無謀にも、「フィネガンズ・ウェイク」を待たせています。
※旧版 ユリシーズ 河出書房新社 1964年 / 新版 ユリシーズ 集英社 1997年