美術史から学んだこと

七北田公園

学生時代に何故美術史を学ぼうとしたのか、教員採用試験に備えてか自発的なものだったかもう忘れていますが、「美術の歴史(H.W.ジャンソン)」を読んだのだけは覚えています。

と言うのも、その書籍としての圧倒的な存在感(大きく重い)が、引っ越しや本棚整理の度に忘れるなよと主張します。(でも、かつての職場に置きっぱなし、事実上寄贈したも同様で今は手元にありません。)

しかし、この本の内容にも忘れられないものがあります。ただ、それは本文ではなく、序章でした。

それは、美術の独創性についてか継承についてかのところだったと思います。西欧絵画史上のスキャンダルで有名なマネの「草上の昼食」が、その構想においてラファエロの「パリスの審判」から来ていること。

さらに、そのラファエロも構想においてローマ時代の石棺レリーフ「河神」が元になっているとありました。

このことは、私の中に深く沈殿し、その後の様々な制作経験を経て、今、ハッキリとしたひとつの考えを形作ったようです。

すなわち、画家長谷川資朗は、人が太古の昔から作ってきた絵画と言う大河のひとつの出口に過ぎないと言うことです。

ただ、そこにやや特殊な態度として、その出口にアイデンティティーは要らないと思っています。作家性を否定する画家、美術のノーブランド化です。