
遙か昔、高校で受験勉強のために石膏デッサンを始めた頃、美術の先生にこれがどんな役に立つのかと素朴な質問をしたことがあります。
芸大で小磯良平と同期だった先生は、明暗の階調や色の微妙な違いに敏感になると教えてくれたのです。現在、私が専門学校でCG科の学生に石膏デッサンを描かせる時は、平面に仮想空間を組み立てる感覚を養うためと言っています。
これも、間違いではありませんが、必要に迫られた狭い考えです。今、振り返ってみると私の学生時代は石膏デッサンに偏り過ぎとも思えるのです。しかし、恩師が言った通り、私の階調感覚は、このような訓練をしていない多くの人々とは違っているようです。実際、美術作品を観る時だけでなく日常生活の場でも、身の回りの階調の美に感動することは良くあります。
そして、この感動を人に語っても理解してもらえないことも経験してきました。特に美術に全く感心を持たない人には、美しい色彩とはハーモニーのことではなく、色の彩度が高いことである場合が多いようです。
さて、私が使っている画像処理ソフトは業界を代表する標準的なものです。そこにも時代の流れでAIによる画像生成機能が装備されており、多くの作例が紹介されています。
当然、その世界的な会社はそれらの画像で美しさを誇りたい分けです。それが、少なくとも私や同じ先生に教わった友人にとっては美しくない。
他方、SNSをやっていると様々なフェイク画像に出会います。しかし、それらを見た第一印象は醜さと気持ち悪さです。形の問題を脇に置いても(それも気持ち悪いものですが)、階調の美しさは無視されています。
これらは、技術の未発達が原因でもあるでしょう。でも、もっと大きく重大な問題は、その違いを感じ取る人が多数派でないことです。(画像を作った人はこれで役割が果たせると考えている。)広い意味でリテラシーこそ日々養っていくべきと身にしみて思います。ですから、少なくとも色彩のリテラシーに関しては、若い頃に取り組んだ異常なほどの石膏デッサンは価値があったようです。